2008年12月24日
完成~!!
さっき完成しました~総額1356円
写真では見えませんが、中には、イチゴがたっぷりです。
市販のスポンジ台、2割引のイチゴパック、純乳脂の200ccパック
半額の、クリスマスバージョンのチョコレートセット等々
まぁ、シロートの自家製ケーキですから、
見かけが悪いのは許してね~
さて、今からケーキカットだよ~。
みんな、素敵なイヴの夜をね~
写真では見えませんが、中には、イチゴがたっぷりです。
市販のスポンジ台、2割引のイチゴパック、純乳脂の200ccパック
半額の、クリスマスバージョンのチョコレートセット等々
まぁ、シロートの自家製ケーキですから、
見かけが悪いのは許してね~
さて、今からケーキカットだよ~。
みんな、素敵なイヴの夜をね~
2008年12月24日
大変な事態。。
ショッキングなニュースを取り上げてみたいと思います。
回顧録的な要素もありますので、長文になります。
クルマに興味のない人は、読み飛ばして下さいね。
トヨタ初赤字150000000000円・・・とんでもない数字です。
でも、もっと驚くのは・・前期(’08年3月)は、
2270300000000円の黒字だったことですね。
その差、実に、
2000000000000円以上!
もう・・その桁が合っているかさえ分からない数字です。。
輸出産業である自動車産業が、輸出先でコケると、
あの大トヨタでさえ、赤字に転落するのですね。。
実に、59年ぶりのこと・・だそうです。
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私の父の時代は、トヨタを選んでいれば安心・・的な
考えがあったと聞いていました。
その考えは今も変わることなく、私の父は、
今もずっと、トヨタ車に乗り続けています。
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日本のモータリング黎明期は、トヨタ・日産のビッグ2がしのぎを削る
素敵な時代だったのでしょうが、今はトヨタの独壇場で見る影もないですね。
私の父は、パブリカ、そして、スプリンターを何台も乗り継ぎ・・
子供の時の私の生活は、いつもトヨタ車と一緒だったと言えます。
ただ、私自身は、その中庸というか、尖ったところのない
トヨタのクルマ造りが、どうにも好きになれず、
私が自分の意志でトヨタ車をチョイスしたことはありません
(ただ1台、強烈に感動したクルマがありましたが、それは後述)。
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「竹を割ったような性格のクルマが好き」
これは、私が中学生の時、言っていた言葉です。
当時、カープラザ(三菱のチャンネル)から、
ミラージュが新発売され、まだクラッチ操作さえ知らない子供が、
販売会社へ、カタログをもらいに行きました(笑)。
宮崎神宮の西側の広場である、各メーカーの新車展示会で、
出たばかりのパステルグリーンのRX-7を前に、
三脚を立てて撮影していたガキは私です(^^;
強烈な個性を持ち、かつ、乗り手を選ぶ・・
そういうクルマが好きでした。
ですので、私の一番身近にあるトヨタ車には・・
まったくと言っていいほど、興味がなかったのですね。
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私のクルマ好きの原点はどこにあるのだろう・・
以前、考えたことがあります。
幼稚園生の頃から、自他とも認めるクルマ好き
(当時の連絡簿に、朱ビートちゃんはとても多くの
クルマの名前を知っていて驚く・・との記述が)だったようで、
昭和40年代のクルマを見ると甘酸っぱい感覚があります。
記憶の中で、強烈な印象を残しているのは、
『マッハ号』
ですね。
これは、もう・・画期的というか、今見ても惚れ惚れするデザイン。
マッハ号って・・左ハンドルだって、みなさん知ってました(笑)?
オープン2シーター・・ビートの原体験だったのかも知れません。
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そんなセピア色の時代も、私は、トヨタ車でどこかに出掛け、
家族との思い出を作り、クルマは文句を言うことなく、
私たち家族を幸せにしてくれていました。
クルマを持つことは富の象徴であり、
隣のクルマより、ホンのちょっとだけ排気量がデカいことが、
ホンのちょっとの優越感につながることだったり・・
高度経済成長は、人もクルマも幸せな時代だったのでしょう。
さて、二度のオイルショックで、クルマ産業は、
一時期の高成長は期待出来なくなりました。
その中でも、トヨタは、ツインカム(カムを二つ持つ高出力エンジン)を
作り続け、ファミリーカーだけでなく、スポーティーカーも
手堅く作り続けていました。
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多様な価値観が認められるようになってきた80年代、
独自の安定路線を進んでいたトヨタに変化が見られます。
このあたりから、トヨタは、時代を先取り・・というか、
時代を作っていくリーダー的な要素を持ち始めたようです。
ああぁ、書きたいことが多すぎて長文になってしまう。。
スイマセン、トヨタ大赤字の本文に、なかなか進めません。
ですので、今日はここまで。。
続きは、また次回、書き進めます。