2009年03月24日
私的、スカイライン論
※今回の投稿はかなり辛口です。
※気分を害される人がいらっしゃいましたら、
※先にお詫び致します。
さて、満を持して・・という表現が適切でしょうか。
以前から書こう書こうと思いながら、なかなかチャンスがなかった、
私にとっての「神」、SKYLINE GT-R(BNR32)です。
(SKYLINE GT-R 1993年9月現在)
いつかはスカイライン・・。
これは、私が中学生になったぐらいからの大いなる夢でした。
その夢は、
もう・・新車では手に入らない・・
という形で砕かれてしまいましたが、新車で買えなくなるのなら、
ちょっと無理をしてでも、R32を買っておけば良かったな・・と、
それは、後悔しています。
まぁ、いくら後悔しても、この先、新車でスカイラインが
買えることも無いと思いますので、いい夢をありがとう・・
と、日産に感謝・・といった感じでしょうか
え?スカイラインって、今も売ってるでしょ?
新車で買えないのは、経済的なもの?
という疑問が出て来ることと思います
はい・・もちろん経済的なものは一番の要素ですが、
私には、今、日産が「スカイライン」と呼んでいる奇妙なクルマは、
スカイラインを名乗る資格などない、と思っております。
日産自体が、あの程度のクルマをスカイラインとして販売して、
恥ずかしくないのかな・・というのが率直な気持ちです。
私の中での、あこがれのSKYLINEは、
R34で、終わってしまいました。。
R34については、次回、またお話ししますね。
さて、話をR32スカイラインに戻しましょう。
その歴史は、本物のレーシングエンジンをデチューン(性能ダウン)し、
名機S20として、初代GT-R(PGC10)に積んだのが最初です。
その後、ケンメリGT-Rが197台だけ生産され封印されてしまいました。
長い長い低迷の後、16年ぶりにGT-Rの復活を遂げたのが、R32です。
その強さ、速さ、存在感は、何もかも別格で、
出場することを許されたレースでは、ほぼ圧勝・・。
強すぎるが故に、ルールさえ変わってしまうほどの凄まじさでした。
ただ・・私がスカイラインに魅力を感じるのは、それが全てではありません。
スカイラインには、物語があります。
開発者の知恵と工夫、汗と涙があります。
日本人として、その浪花節が・・私の心を引きつけるのです。
最速を求められながら、しかし、その基本は普通の乗用車・・。
この決定的とも言えるハンディを、開発者は、
技術と、根性と、熱意と、アイディアで乗り切りました。
普通乗用車ですから、ベースは普通の乗用車です。
多くのネガティブが存在し、彼らの足を引っ張ります。
それでも、開発者達は、「自分たちが乗りたいクルマを作ろう」と、
開発にのめり込んだそうです。
それは、サラリーマンとして、与えられた仕事を黙々とこなしていく・・
そういう受け身の姿ではありません。
自分たちが買って乗りたい、自分たちの理想のクルマ・・
これを、普通乗用車で実現する・・その為に、彼らは、
電子制御を思いつき、そして、それをものにしました。
その結果、世界にも類を見ない、普通乗用車なのに、
世界のスポーツカーと戦える、という独自の魅力を持ったクルマになったのです。
例え話をしましょう。
同レベルの、二人の医者がいます。
一方は、代々医者の家庭。
本人もその血を受け継ぎ、持って生まれた才能と、恵まれた環境で、
とんとん拍子に医者になりました。
もう一方は、普通の一般家庭の生まれ。
両親は、医者を目指す子供のために、必死で働き、学費を稼ぎ、
子供も、両親に苦労を掛けていることに感謝をしながら、
本人も必死に勉強した結果、優秀な医者になりました。
この二人の医者、どっちに魅力を感じます?
前者が、国内外の著名なスポーツカー。
後者が、スカイラインGT-Rです。
速く走るためだけに設計され、そして、庶民には絶対に手の出せない
高額な価格を当たり前・・としているようなクルマに魅力はありません。
そんなの速くて当然でしょ?
だからどうしたの?って感じですね
まずは庶民(普通乗用車)がベースで、にも関わらず、
世界で戦えるスポーツカーを作り上げることが出来た・・
その開発者の熱意に、私はとても人間くささを感じます。
繰り返しますが、スカイラインGT-Rは浪花節なんです。
判官贔屓(はんがんびいき)なんです。
スポ根なんです。
汗、友情、努力、根性、忍耐・・
ストイックに、目標達成のために黙々と努力する・・
そういう思わずもらい泣きしそうになるほどの、
日本人だからこそ為し得た美学があります。
もう一つ、日本車には珍しい、芯の通った伝統もありました。
一番の特徴は、丸いテールランプ。
実に、30年!も続く伝統でした。
これを見るだけで、「あ!スカイライン」と誰しもが分かります。
その伝統が生きている間は、他の誰も同じテールランプを
付けることは出来ませんでした。
なぜなら、それをしてしまった瞬間、あらあら、スカイラインの真似をして・・
といわれるのは必然でしたし、
他メーカーも、あえて、丸テールランプは採用していませんでした。
今、巷では、堰を切ったように丸テールランプが溢れています。
これは、自ら伝統を捨て、自殺に等しい暴挙、丸テールを廃止した結果、
オリジナルが廃止した・・という免罪符を手にした他メーカーが
今までやりたくても出来なかった丸テールランプを
こぞって採用したためなんですね。
まぁ、こんなバカな選択をしたのは、いすゞから引き抜かれた
中村なにがしというチーフデザイナーなのですが、
(引き抜かれた直後は、よくCMに出てましたから見てる人もいるかも)
この人、いすゞでも失敗をやらかしています
ジウジアーロが作り上げた端正なデザインのジェミニを、
大福餅のような真抜けたデザインに変えてしまいました。
果たして、いすゞ唯一のドル箱、順調な売り上げだったジェミニは、
一転、不人気車の仲間入りをし、あまりの販売不振に、
いすゞは、乗用車生産を廃止することになってしまいました。
そんなとんでもないヤツを、カルロスゴーンは、
チーフデザイナーとして引っ張って来てるんですね。。
その後の日産車のデザインが、暖かみのない、
何とも、記憶に残らないデザインになっているのは、
トップがトップですので仕方ないことなのでしょう。。
笑って、あげて下さい
スイマセン、やっぱり長くなりそうです。。
続きは次回ということで・・。
※気分を害される人がいらっしゃいましたら、
※先にお詫び致します。
さて、満を持して・・という表現が適切でしょうか。
以前から書こう書こうと思いながら、なかなかチャンスがなかった、
私にとっての「神」、SKYLINE GT-R(BNR32)です。
(SKYLINE GT-R 1993年9月現在)
いつかはスカイライン・・。
これは、私が中学生になったぐらいからの大いなる夢でした。
その夢は、
もう・・新車では手に入らない・・
という形で砕かれてしまいましたが、新車で買えなくなるのなら、
ちょっと無理をしてでも、R32を買っておけば良かったな・・と、
それは、後悔しています。
まぁ、いくら後悔しても、この先、新車でスカイラインが
買えることも無いと思いますので、いい夢をありがとう・・
と、日産に感謝・・といった感じでしょうか
え?スカイラインって、今も売ってるでしょ?
新車で買えないのは、経済的なもの?
という疑問が出て来ることと思います
はい・・もちろん経済的なものは一番の要素ですが、
私には、今、日産が「スカイライン」と呼んでいる奇妙なクルマは、
スカイラインを名乗る資格などない、と思っております。
日産自体が、あの程度のクルマをスカイラインとして販売して、
恥ずかしくないのかな・・というのが率直な気持ちです。
私の中での、あこがれのSKYLINEは、
R34で、終わってしまいました。。
R34については、次回、またお話ししますね。
さて、話をR32スカイラインに戻しましょう。
その歴史は、本物のレーシングエンジンをデチューン(性能ダウン)し、
名機S20として、初代GT-R(PGC10)に積んだのが最初です。
その後、ケンメリGT-Rが197台だけ生産され封印されてしまいました。
長い長い低迷の後、16年ぶりにGT-Rの復活を遂げたのが、R32です。
その強さ、速さ、存在感は、何もかも別格で、
出場することを許されたレースでは、ほぼ圧勝・・。
強すぎるが故に、ルールさえ変わってしまうほどの凄まじさでした。
ただ・・私がスカイラインに魅力を感じるのは、それが全てではありません。
スカイラインには、物語があります。
開発者の知恵と工夫、汗と涙があります。
日本人として、その浪花節が・・私の心を引きつけるのです。
最速を求められながら、しかし、その基本は普通の乗用車・・。
この決定的とも言えるハンディを、開発者は、
技術と、根性と、熱意と、アイディアで乗り切りました。
普通乗用車ですから、ベースは普通の乗用車です。
多くのネガティブが存在し、彼らの足を引っ張ります。
それでも、開発者達は、「自分たちが乗りたいクルマを作ろう」と、
開発にのめり込んだそうです。
それは、サラリーマンとして、与えられた仕事を黙々とこなしていく・・
そういう受け身の姿ではありません。
自分たちが買って乗りたい、自分たちの理想のクルマ・・
これを、普通乗用車で実現する・・その為に、彼らは、
電子制御を思いつき、そして、それをものにしました。
その結果、世界にも類を見ない、普通乗用車なのに、
世界のスポーツカーと戦える、という独自の魅力を持ったクルマになったのです。
例え話をしましょう。
同レベルの、二人の医者がいます。
一方は、代々医者の家庭。
本人もその血を受け継ぎ、持って生まれた才能と、恵まれた環境で、
とんとん拍子に医者になりました。
もう一方は、普通の一般家庭の生まれ。
両親は、医者を目指す子供のために、必死で働き、学費を稼ぎ、
子供も、両親に苦労を掛けていることに感謝をしながら、
本人も必死に勉強した結果、優秀な医者になりました。
この二人の医者、どっちに魅力を感じます?
前者が、国内外の著名なスポーツカー。
後者が、スカイラインGT-Rです。
速く走るためだけに設計され、そして、庶民には絶対に手の出せない
高額な価格を当たり前・・としているようなクルマに魅力はありません。
そんなの速くて当然でしょ?
だからどうしたの?って感じですね
まずは庶民(普通乗用車)がベースで、にも関わらず、
世界で戦えるスポーツカーを作り上げることが出来た・・
その開発者の熱意に、私はとても人間くささを感じます。
繰り返しますが、スカイラインGT-Rは浪花節なんです。
判官贔屓(はんがんびいき)なんです。
スポ根なんです。
汗、友情、努力、根性、忍耐・・
ストイックに、目標達成のために黙々と努力する・・
そういう思わずもらい泣きしそうになるほどの、
日本人だからこそ為し得た美学があります。
もう一つ、日本車には珍しい、芯の通った伝統もありました。
一番の特徴は、丸いテールランプ。
実に、30年!も続く伝統でした。
これを見るだけで、「あ!スカイライン」と誰しもが分かります。
その伝統が生きている間は、他の誰も同じテールランプを
付けることは出来ませんでした。
なぜなら、それをしてしまった瞬間、あらあら、スカイラインの真似をして・・
といわれるのは必然でしたし、
他メーカーも、あえて、丸テールランプは採用していませんでした。
今、巷では、堰を切ったように丸テールランプが溢れています。
これは、自ら伝統を捨て、自殺に等しい暴挙、丸テールを廃止した結果、
オリジナルが廃止した・・という免罪符を手にした他メーカーが
今までやりたくても出来なかった丸テールランプを
こぞって採用したためなんですね。
まぁ、こんなバカな選択をしたのは、いすゞから引き抜かれた
中村なにがしというチーフデザイナーなのですが、
(引き抜かれた直後は、よくCMに出てましたから見てる人もいるかも)
この人、いすゞでも失敗をやらかしています
ジウジアーロが作り上げた端正なデザインのジェミニを、
大福餅のような真抜けたデザインに変えてしまいました。
果たして、いすゞ唯一のドル箱、順調な売り上げだったジェミニは、
一転、不人気車の仲間入りをし、あまりの販売不振に、
いすゞは、乗用車生産を廃止することになってしまいました。
そんなとんでもないヤツを、カルロスゴーンは、
チーフデザイナーとして引っ張って来てるんですね。。
その後の日産車のデザインが、暖かみのない、
何とも、記憶に残らないデザインになっているのは、
トップがトップですので仕方ないことなのでしょう。。
笑って、あげて下さい
スイマセン、やっぱり長くなりそうです。。
続きは次回ということで・・。