2009年06月15日
三沢光晴 逝く。。
プロレス団体「NOAH」の社長兼レスラー、三沢光晴が亡くなりました。
宮崎日日新聞 2009年6月14日付 30面
46歳。。
私と2つしか違わない・・あまりに早すぎる死です。
新聞記事によると、バックドロップで頭を強打・・と書いてありますが、
その程度の(と言っては失礼ですが)オーソドックスな技に、
死に至るほどの破壊力があるとは思えません。
それ以前に、体調(あるいは脳内での不具合)があったのでは・・
などと考えてしまいます。
ちょっと検索をしてみたら、やはり、社長業と
選手としての長年の無理で、心身とも疲れていた様子ですね。。
http://www.zakzak.co.jp/spo/200906/s2009061501_all.html
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私は、三沢光晴が好きでした。
過去形なのは、団体を立ち上げてからの彼に興味が無くなったから。
ジャンボ鶴田が死に、ジャイアント馬場が死に、
残された全日本プロレスを背負って立つ、
選手としても、人間としても立派な三沢が大好きでした。
その後、オーナーである馬場夫人との確執で、他の選手の大半を連れて、
全日本プロレスを離脱したのはご存じの通り。
全日ファンで、ジャイアント馬場ファンである私は、
彼の、「馬場に対する裏切り」とも言えるその行動が許せず、
三沢光晴から急速に興味が無くなっていきました。
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三沢光晴の誘いに乗らず、全日本に留まった
「川田利明」と「淵正信」に男気を感じ、純血が残ったことに安心したものです。
私から三沢光晴が消えて長い年月が経ちました。
そして、6月14日の新聞記事にて、彼の訃報を知ったのです。
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彼は、古巣(全日本プロレス)に戻ることなく、この世を去りました。
生涯現役選手・・という点では、リングで死ねた人生でした。
数々の大人の事情が渦巻くプロレス界ですが、
彼の掲げた理想は、他団体を巻き込んで、一つの流れであったとは思います。
純粋なスポーツではない・・しかし、やっていることは
とてもハードな、プロレス・・という世界。
魑魅魍魎が住むその世界で、大きな星が消えたのは、
NOAHにとって、支えを失ったごとくの痛手でしょう。
今後の主導権をめぐって、内部対立が起きないことを願っています。
彼の「半封印技」、私も目の当たりにしたことのない、
タイガードライバー'91をご覧ください。
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http://noah.s101.xrea.com/fighters/x/noah/misawa.htm
このえげつない技を掛けられたのは、デンジャラスK、川田利明。
日々の鍛錬から来る頑丈さで、死ぬことはないのでしょうが、
素人は絶対に真似をしてはいけませんね。
プロレスをショーとして扱うと、目の色を変えて反論してくる人もいますが、
彼らは、ショーマンシップが第一です。
お客さんに見てもらえる試合をする・・で、ナンボなのですから。
彼らは、その興行収入や放送権収入で、給料をもらって生活をしています。
見せ方を知っている・・巨星が消えたのは、大きな損失ですね。
あの世で、三沢は、鶴田や馬場に叱られているかも知れません・・。
「お前、なんでそんなに若いのに、こっちに来たんだよ!」って。
心から、ご冥福をお祈りします。。
電球切れは危険! YAMAHA BJ 12V30/30W R107
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Posted by 朱ビート@宮崎 at 19:30│Comments(0)
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